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人生ダイヤは友達から教えてもらった素敵な言葉。わりとまともっぽいようなよりとりとめないような。
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お正月にハッピーフィートっていう映画(ペンギンが主人公の)話をさわりだけ見たんですが、最近のCGのクオリティは本当にあがりましたね。
以前Iくんっつー男の子とCGについて語り合ったことがあるんですが、
CGをIくんが作っていて、実写映像との違いって何か感じるかい?って聞いたら、ほとんど感じない。
このまま技術が上がり続ければ、ほぼ実写になるだろうという話だった。

つまりCGが滑らかに動く連射写真みたいなものになるんじゃないかな。

カメラが登場した際には人々はどよめいていたから、どんどんCGになっていくことに対する反応もそれと同じ、もののような気がする。

機会を取り入れること事態はじつは私自身はわりと賛成派。

時間が短縮できてより作品を深めることが出来るなら、それにこしたことはないと思っている。
リアリティーの正体って結局のところ「実感」。

しかし手書きから機械に移行することで、たまにどうしようもなく感じる喪失感の正体を明らかにしないままに使うのは違う気がしていた。

思うに、


□実写映画 人+(実際ある風景)→撮影→作品
□フルCG映画 人+加工+(人工的に作った風景)→撮影→作品

作業工程の間に、はさむもんが多くなって実感が遠のきやすいんでないかな。

おにぎり握る時に、自分の手で握るのと、
アームを使っておにぎりを握るのとの違い。

要はアームを使う時に自分が作りたかったおにぎりを強くイメージしないと、かたくてぎちぎちのおにぎりが出来上がってしまう。

問題はアームを使ってイメージを強く持って、実際に手で握ったものと同じようなものができるかだが、私は出来る人はいると思う。

普通の人が写真を撮っても「味気ないな」と私は思うけど、
たまに見てると涙が出そうな写真を撮る人がいるものな。

ただしそれが出来る人は稀だ。
自分がその稀なタイプなのか、いまいち相性が悪いのかを判断しながら、
機械を使っていくことが大事な気がする。

人工物に対して驕らず、使いこなしていくのが理想だな。
ちなみに私は機械は補助程度にしか、使えない人間(笑)

人は機械の生みの親だが、機械はそれほど人に懐いてはいない気がする。
要は実感。

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