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人生ダイヤは友達から教えてもらった素敵な言葉。わりとまともっぽいようなよりとりとめないような。
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漫画が描きたい…。(ただのうわごと)

これいつ描いたかは覚えてないけど、ねーわってなったのは覚えてる。

理由は今ならわかる。
私が描くゼルガディスさんじゃなくて公式ゼルガディスさんに似てるからだ(汗)

あと三日、全力で頑張ります。

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やばいよこれ。
超疲れてる。

皆さん、自分の精神状態を客観的に判断する方法知ってますか。
一番書き慣れたキャラの顔を深く考えずに書くと、今の自分の表情がそのまま出てくるよ。

私はみんないらいらした悲しそうな顔になっちった。
うぁあ

そんな時は一曲すきな曲を聴くのがいいね。

私は雪の女王のゲルダが氷の裂け目をよけて走っている部分のサントラを聴きました。
ここだけ聴くと追い討ちをかけるようですが、
氷の裂け目をわたっている時、ラギさんっていう吟遊詩人が、
ひどい格好で海に落ちながら、
「振り返るなあああああああ!!!ゆくんだゲルダぁああ!!」
ってさけぶんですよ。
あの部分を思い出しただけで、私は何度でもしあわせになれます。



こんな格好で落ちて彼は一回本当に死んでしまうんですよね。
もっと手足がびーんと伸びきっていたような気がするけど。
あれは放送事故レベル。
たぶん世界で一番変なポーズで倒れてしまったイケメンです。
ちなみに最終回の直前に雪の女王に凍り付いて心臓が止まっていたのを、温めてもらい、救助されます。

話がかわるんですが、
ぼくはこんな主題歌が似合う伊達政宗を一度は描きたいです。絶対誰も読んでくれない。自己満。…もういいんですよ。私の美学の原点なんて理解してもらえなくても。も…私だけが…その尊さを忘れずに自分の作品に昇華して取り入れられれば(がくがくがく)ああ、もう宮崎駿でも出崎でもいいから誰か私と語りあってくれる人いないかなぁ。
宮崎はぜひ秋津三郎時代の頃から話をしたいし、出崎は彼が貸本屋してたところ。そして泣きたい。ジブリジブリ?ああ大好きとかいうにわかに俺はうんざりだ。ああ寂しいんだよもぉおおお誰にもわかってもらえなくて。あの二人の巨匠を私がっどれだけ大事に想ってるかなんてっ…。
言葉じゃ伝わるわけもないから、やっぱり絵を描かないと…ううっ寂しいよ。わかってほしい…誰か…ぁ(つかれている)


ファイルの整理をしていたら故出崎監督がプロフィールに使用していた画像を印刷したのが入っていた。
自分マジグッジョブ…!




出崎監督マジ天使。かあわあいいー
で崎に何故一度も絵本の仕事が入らなかったのか不思議な位だ。結局あの人がこんな絵を描くってほとんど人に知られてなかったからなんだろうけど。それにしても可愛い絵。
なにウィンクしてんねん(逆ぎれ)

この絵柄で夕日は裏切りの名人なのさとか描くあたり痺れるわ。世界一無垢な絵を描く女ったらし。月一で書く、で崎ファンクラブの日記でリストカットしてる女の子を口説いていたのも今となってはいい思い出だよ。)^o^(

その人にとっても出崎にとっても適切なわけもなかったが。ああいう馬鹿は見ていて嫌じゃない。
嫌じゃないけど、もう少し利口になれといらいらする。

監督が死んでしまった今となってはなんにもならない話だけどな。

ウィキには書いてなかったけど円形脱毛症で落ち武者みたいな姿になった出崎は、仕事のストレスもさることながらあの女の子を救おうとしていたのも関係あるんじゃないのかな。
ほんとに…馬鹿な人だな。すきだっただけなおさら。
振り返ってみると出崎監督が早死にしたのはなるべくしてなった気がする…。

出崎にしろ中島みゆきにしろ大好きだが、もう少し器用に生きてよって言いたくなるなぁ 立ち入り禁止の路線にジェットコースターで滑り込んでゆく人々。

器用過ぎても嫌だから、私は程よく器用に生きたいものだ。

こなれちゃってもいけないし、臆病になってもあかんしって…、まったくやんなっちゃうよなあ(;▽;)ノ


お正月にハッピーフィートっていう映画(ペンギンが主人公の)話をさわりだけ見たんですが、最近のCGのクオリティは本当にあがりましたね。
以前Iくんっつー男の子とCGについて語り合ったことがあるんですが、
CGをIくんが作っていて、実写映像との違いって何か感じるかい?って聞いたら、ほとんど感じない。
このまま技術が上がり続ければ、ほぼ実写になるだろうという話だった。

つまりCGが滑らかに動く連射写真みたいなものになるんじゃないかな。

カメラが登場した際には人々はどよめいていたから、どんどんCGになっていくことに対する反応もそれと同じ、もののような気がする。

機会を取り入れること事態はじつは私自身はわりと賛成派。

時間が短縮できてより作品を深めることが出来るなら、それにこしたことはないと思っている。
リアリティーの正体って結局のところ「実感」。

しかし手書きから機械に移行することで、たまにどうしようもなく感じる喪失感の正体を明らかにしないままに使うのは違う気がしていた。

思うに、


□実写映画 人+(実際ある風景)→撮影→作品
□フルCG映画 人+加工+(人工的に作った風景)→撮影→作品

作業工程の間に、はさむもんが多くなって実感が遠のきやすいんでないかな。

おにぎり握る時に、自分の手で握るのと、
アームを使っておにぎりを握るのとの違い。

要はアームを使う時に自分が作りたかったおにぎりを強くイメージしないと、かたくてぎちぎちのおにぎりが出来上がってしまう。

問題はアームを使ってイメージを強く持って、実際に手で握ったものと同じようなものができるかだが、私は出来る人はいると思う。

普通の人が写真を撮っても「味気ないな」と私は思うけど、
たまに見てると涙が出そうな写真を撮る人がいるものな。

ただしそれが出来る人は稀だ。
自分がその稀なタイプなのか、いまいち相性が悪いのかを判断しながら、
機械を使っていくことが大事な気がする。

人工物に対して驕らず、使いこなしていくのが理想だな。
ちなみに私は機械は補助程度にしか、使えない人間(笑)

人は機械の生みの親だが、機械はそれほど人に懐いてはいない気がする。
要は実感。

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